自己犠牲に感じる喜びは「あなたの喜び」じゃない?!本当の優しさとは

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心理カウンセラー兼コーチの高橋みちです。
いつもありがとうございます。

現在、毎日8時掲載をしています(直接新着記事一覧へいく場合はこちら)明日もきてね!

これまでの失敗や学びの中で、たくさんの気づきがありました。
その中でもこれは知っておくとこの先ラクだよ!というものを少々スパルタ気味にピックアックしていきます。(失敗談はビターなアクシデントの巻へ)
私が代わりに何度も転んで気がついた『盾と矛(守りながら切り開く)』です。あなたも使えそうだと思ったら是非ご活用くださいね。

自己犠牲って
誰かを優先して
そこに喜びがあるって勘違いしやすいんですけど、、、
自分の喜びにならないんですよね。

だから苦しいなら、やめましょ。

自己犠牲を美徳と勘違いしていることも多いよね〜

自己犠牲であなたが感じる充実感や喜びは
あなたのものではなく

今回の盾と矛

他人の目を通してみたニセモノの喜び

別の言い方をすると「他人の目がなければ、その自己犠牲をしないでしょ?」ってこと

誰かの役に立つ自分
誰かに必要とされる自分
誰かを心配することができる自分
誰かのために頑張れる自分

誰かを守ってあげられる自分
自分を後回しにできる自分
差別されている人に同情できる自分
配慮ができる自分
優しい自分

いい人の自分

っていうのを
他人の目を気にしながら
作り上げている

自分に酔っているっていうよりも、『他人の目から見た自分』にコントロールされてる

だからこそ「その他人の目がなければ、あの言動はなかったでしょ?」ってことになるんだ

自己犠牲がダメ
ってことじゃなくて

自己犠牲は
他人の目を気にして
自分のためにしている
ってことに気づいていないので

無理して
我慢して
苦労して
心体を壊してまで
人間関係を壊してまで

する必要があるのか?
押し付けになっていないのか?

ということを
見極められなくなっちゃうんです。

他人の目(自分がどう見られるか)ばかり気にしているから、相手(される側)のことを気にしていないことも多い。ありがた迷惑になりがち

第三者にいいようにされる可能性も高くなるんだ

ボランティアも同じなんです。

自己犠牲も
ボランティアも
自分がしたいからやる

そこに可哀想な人や
手助けが必要な人がいるからじゃない。

私が気になるからやる
私が後悔するからやる
私が好きだからやる

私がやりたいからやる
ってだけなんです。

だから
「なにかお手伝いできることはありますか?」
って言葉が出てくる
相手も私も対等なんだから。

こんな考え方を『偽善』だって嫌がる人もいるかも。でも人間は自分のためにしか行動しない生き物
ビバ偽善!

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