昔からよくいわれる「バチがあたる」と「厄年」
実はこれ「思い込み」が原因です。
「バチ」や「厄」を使うなら上手ーく使いましょうよ。
あなたは、「バチがあたるぞ」って言われたことありますか?
私は祖母がいたので、むかーしから言われていました。
いたずらしたり、言うことを聞かなかったときに(笑)
そして、少し前まで思ってました。
…思っていたというより、
そう思いたかったのかもしれないな
という事に気が付きました。
人に親切にしないとバチがあたる
目上の人を敬わないと…
もったいない事をすると…
お仏壇に手をあわせないと…
祖母や親の手伝いをしないと…
言うことを聞かないと…
●自分が嫌なことでも「我慢してやらなくてはいけない」と思って文句タラタラでやる。
⇒結局ちゃんと出来ず、より嫌になってそのいら立ちを誰かにぶつける。
※この苛立ちは、やらない(でいられる環境の)人に向かう(笑)
●何か嫌なことがあっても、「バチがあったんだ」とおもう。
⇒原因を追究しない(人や何かのせいにしている)から繰り返す(笑)
私が「バチがあたる」と同じだと思っているのが「厄年」です。
厄年だから、病気しちゃった!
…何度も転んだ(?)
…嫌なことばかり!
いやいや、厄年じゃなくて…
無理しちゃったからでしょ?
注意散漫だったからでしょ?
厄年だから嫌なことがおこると思っているからでしょ?
厄年のせいにしないで、休んだり、気がかりの対処をしたり、気持ちを切り替えた方がいいってば~
と私は思います(笑)
厄年って一般的に
精神的・肉体的に変化が起こりやすいタイミングでもあるから、
いつもよりちょっと自分に気を使ってあげてね❤
っていう年回りのことですよ。
「厄年だから○○しちゃだめだぁ~」
とか
「厄年だから何かがおこるわぁ~」
って思っているからそうなるんですってば!
うーん、常識?という洗脳(思い込み)は怖いですね。
話がそれましたが(笑)
そもそも昔の伝承(バチ含)等は、
子供を危険から遠ざける為のもの
だったんだと思うのです。
あそこの沼は危ないから神様が住んでいるとしようとかね☺
だから、人の考えを制限したり、束縛するものではないと思うのです。
といいますか、ちょいちょい小さなことでバチをあてるのが神様なら、かなり心が狭い暇人よね(笑)そう思うほうが失礼じゃないかな?と思いませんか。
神様はもっと大きいものを広い心で見ていますよ。
先祖に対して、バチがあたるって場合
私は、「自分を大切にしない」とバチが当たるのだと思います。
だって、ご先祖は、自分の「DNA」を残したわけです。
その子孫が、
自分を大切にしないで
自分を痛めつけたり否定したりってするのって
ご先祖からすると
「DNA」を否定されるのと同じなんじゃないかな。
私たちだって、
自分があげたものを大切にしてもらえないとさみしいし、悲しいよね。
それと同じだと思う。
だからこそ
私たちは、今の自分がやりたいことを楽しんで、
この「DNA」を次に渡せばいい。
もちろん、子供でも、思想でも、何ででも!いいんだと思う。
ご先祖たちが、「うぉーこいつ楽しそう。まっ私のDNAがよかったしね♪自分もそろそろ次行くか!」って思ってくれれば最高なんじゃないかな。
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