「ペットロス」について触れたいと思います。
ペットロスも「自分の中の感情との向き合い方」次第なんですよね。
大切な人との死別も同じだと私は思っていますよ〜
こういうネタが得意じゃない方は、回れ~右☆
私のペットロス経験
私がペットロスになったのは「しょう(猫)」の死ででした。
私は、小さな頃から猫と生活していますが、きちんと「死」を見たのが初めてだったんです。
これまでは、身体が弱くなるといなくなってしまったり、私が学校に行っている間に家族が埋めてしまっていたり。
ですので、「居なくなってしまった」とは思っても「この世にいなくなってしまった。(もう二度と会えない)」とは思えなかったんです。
愛猫の死
しょう(猫)は、一年以上病院に通っていました。
後半の半年は、殆ど毎日病院に点滴に行きましたね。
腎臓が悪く、頭部に腫瘍ができ認知症も発症。
朝、母が送って行って、夕方に私が連れて帰ってくる生活でした。
こんな生活をしていた時にふと
「自己満足なのではないか?」と思ったときがありました。
「無理に命を永らえさせて、嫌で痛い思いをさせているんじゃないか?」って
でも、「しょう」は食欲があって、私に甘える仕草をいつもしてくれていたので、まだ生きていたいと思っていたと思っています。
ですので、私は出来ることを全部やりました。
毎日病院に連れていき、療法食を食べさせ、家に居るときは「しょう」とずっと一緒。
子供を抱っこする「スリング」を買って抱いていました(笑)
できることをやり切った
なので
お金もどんどん無くなりました。
人との付き合いもどんどん減りました。
でも、今でも後悔していません。
また同じことが起きても、過去に戻っても同じ事をやります。
自分がやりたくてやったから。
一切の妥協も許しませんでした。
漢方やマッサージを勉強したり、色々なところに相談したり。
会社を早退遅刻したりね(笑)
コーチングの勉強を始める前でしたが
今でも、自分の欲しいものを貪欲に選択し続けたことは間違っていないと思っています。
自分の欲しいもの以外(お金、人付き合い、会社)を優先してしまっていたら、私は必ず後悔していたと思うから。
後悔が呼ぶもの
後悔は、「○○のせい」をいう気持ちを呼びます。
●お金を稼げない自分のせい
●給料を沢山ださない会社のせい
●会社を休ませなかった上司、同僚のせい
●無理に遊びに誘ったあいつのせい
●協力しなかった家族のせい などなど
たーくさん出てくるでしょう。
自分の欲望に忠実に選択しなかったのは「選択しなかった自分」なのに
「選択しなかった自分」ではない自分や他人や環境を責めるんです。
責めるところが間違っています。
言い訳をつけて選択できなかった自分に気が付くべきなんです。
そして、次につなげればいいのですよね。
別れは悲しいけど・・・
別れは必ずきます。
でも、別れがきても、なにも無くならないんです。
私の心を温かくしてくれた「しょうの記憶や日々」は無くならない。
失ったと思うから、辛くて辛くて仕方がないんですよね。
もちろん別れは辛いです。
私も号泣しました。
土曜日にずっと一緒にいる時間をつくってくれて、日曜の早朝に天国旅立ちました。
私が「しょう」の傍にいる時間を選択して旅立ってくれた「しょう」に感謝しました。
家族に会社に知人に、そして、最後まで自分の欲望を叶え続けることができた自分に感謝しました。
後悔と違うのはココです!
感謝しか残らないのです!!
私は、今いる猫たちにも感謝しています。
悲しみに沈んているときに
身体に私の涙と鼻水がつくのを嫌そうな顔しながらも、ずっと一緒にいてくれてました(笑)
ありがたいっすね( *´艸`)
悲しみはしっかり味わおう
そうそう、悲しみはちゃんと味わってくださいね。
号泣して号泣して悲しんでください。
悲しみを先延ばしにすると、ちゃんと味わうより長く辛いです。
悲しむことに飽きる(自分の中で)と必ず復活できますので。
可愛い子との記憶を悲しみで終わらせないでくださいね。
別れの辛さより、そんなものが霞んでしまうような
大きな喜びを共有したことを思い出して
どうして、このことを書こうと思ったかというと「ねこブーム」が続いているからです。
Happyでねこらしく生きられる「ねこブーム」でありますように。
猫たちが「やっと私たちの時代がやってきたぜぃ!」とラッパや太鼓を鳴らして行進したくなるような「Happyにゃんずブーム」がきているといいな。
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