『見えてしまう』からこそ、心が重くなってしまうことはありませんか?
他人の痛みや世界の理不尽さに強く反応し、
気づかないうちに他人の人生まで背負い込んでしまう。
それは、あなたがそれだけ深く温かな優しさを持っている証拠です。
けれど、自分を壊してまで背負い続けることは、本当の優しさなのでしょうか?

みちもよくやってしまっていたよ
誰かと話したり、SNSをみたり、日常で少し重たい話題に触れることがありますよね。
命や尊厳に関わること
弱い立場の人が、守られないまま扱われてしまう構図
誰も責任を引き受けないまま、流れていく現実
頭では、「仕方ない「これが現実だ」と理解できます。
でも、心はそう簡単には追いつきません。
気づかないうちに、確実に、心が重くなってしまうんですね。
避けていたはずの『重み』に触れてしまったとき
先日、避けていたはずのものに触れてしまったことがありました。
SNSで話題になっていた漫画。
見ないようにしていたのに、無料公開をきっかけに
好奇心でつい読んでしまったのです。

ちょっと油断してしまっていたよね〜
読み終えると、気持ちは沈んでました…(分かってた)
そのとき、
自然に浮かんできた言葉がありました。
「これは、私が背負う世界じゃない」
同時に、こんな迷いも出てきて
そう思ってしまう私は、冷たいのではないか
見て見ぬふりをしているだけではないか
『背負わない』と決めてしまって、いいのだろうか…
考え始めると、なかなか止まらなくなってしまいました。
自分の中を整理していくと
いろんなピースがはまっていく感覚がありました。
『感じること』と『引き受けること』は、別
『見えてしまう(気づく)こと』と『背負うこと』は、違う
『感じること』と『引き受けること』は、別
優しさがあるからこそ、
境界線が必要になる場面も確かにあるよね、と
私は
弱い立場の存在や、守られない構図、誰も責任を引き受けない状況に
とても強く反応する人間なんだと思います。
それは、正義感というより、生き方の感覚に近いものです。
小さいもの
弱いもの
選択肢を持ちにくい存在
それら(特に猫) が雑に扱われることに
どうしても耐えられない。

でもだからといって、世界のすべてを背負う必要はない。
そう明確に腑に落ちました。
相手が変わる『きっかけ』にはなっても、背負いはしない
私は、誰かが変わるための『きっかけ(足場)』にはなれる。
寄り添ったり、考えたり、一緒に整理することはできる。
でも、ずっと背負い続ける必要はない
足場ができたら、手を離していい
役割を終えたら、降りていい
それを選んでもいいんだと、自分に許可を出せるようになりました

私の結論は、とてもシンプルです。
私は、見える(気づく)人だけど、全部を引き受けなくていい
私は、優しいけど、境界線を持っていい
これは、私が背負う世界じゃない
そして、ここは、私がいる場所じゃない
背負わないことは、無関心ではありません。
自分を壊さずに在るための、大切な選択です。
自分がどうにかしないといけない!と、
あなたの心を疲弊させることはなんですか?
あなたは何を大切にしたいですか?
『共感の疲労』をしてしまう方に併せて読んでほしい記事
▼ 「それは投影だよ」という決めつけの暴力。心理学の言葉であなたの善意を濁されないために
他人の痛みが見えてしまうからこそ、時に「それはあなたの問題だ」と『心理学の言葉』で冷たく分析されて傷つくことがあります。
なぜ「分析」がこれほどまでに心を凍らせるのか。あなたの『純粋な想い』を守るための境界線について深掘りした記事です。
▼ 優しすぎて利用される…「冷たくなった」と言われて自分を責めてしまう時の処方箋
「背負わない」と決めたあとにやってくるのが、「冷たい人間だと思われないか」という『罪悪感』です。
境界線を引くことは、相手を見捨てることではありません。自分自身の『健やかさ』を守り抜くための、具体的な考え方をお届けします。
▼ もう一人の自分と会話してみる
外側の世界の重荷で心がパンパンになってしまったとき、まず必要なのは『自分自身』との対話です。
他人の人生ではなく、いま自分が何を感じているのか。自分の『本音』に立ち返り、心を穏やかな場所にリセットするためのワークです。








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