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「目立たなきゃ」に疲れたあなたへ ─ 12年の違和感を手放して見つけた『本来の場所』

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心理カウンセラー兼コーチの高橋みちです。
いつもありがとうございます。

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「キラキラしていない(目立たない)自分には、価値がない」
「もっと前に出て、声を上げないと認められない」

そんなふうに、自分を無理に『外側の正解』に当てはめようとして、息苦しさを感じてはいませんか?

今回は、
12年間もの間『表に出る役割』を限界まで引き受け続け
そこからそっと降りることを選んだ私の体験をお話しします。

周囲の無理解な言葉に傷つき、
自分を責め続けた日々を経て辿り着いたのは、
目立たなくても居心地の良い『本来の場所』でした。

無理に輝こうとするのをやめたときに見えてきた
自分を壊さないための『選択』と
私らしい『立ち位置』の形についてお届けします。

前職をやめたのが2016年なので今年で10年になります。
そんなことを思っていたら、、のお話

以前の私は、「目立たない自分 = 人気がない(価値がない)」そんなふうに思っていました。

表に出ている人のほうが評価されて、声が大きい人のほうが影響力があって、キラキラしている人のほうが「正解」。

そういう世界に、長くいました。

嫌だと分かっていたのに、やり続けた12年

前職で、自分の顔をだす役割(ふわっとしていてすみません)を、長い間担当していました。
正直に言うと、本当に、本当に、心底嫌でした。

でも当時は、「なぜ嫌なのか」がよく分からなかったんです。

訛っているからかな
話すのが下手だからかな
自信がないからかな

そうやって、理由を全部『自分の欠点』に結びつけていました。

みちはずっと『自信が欲しい』って思っていたよ
学びを始めた当初ずっと言っていた(笑)

さらに私を追い詰めたのは、周囲からのこんな言葉でした。

「嫌なら、やらなきゃいいじゃない」
「結局、やりたいからやってるんでしょう?」
「目立つのが好きなんでしょ」

その言葉を投げかけられるたび、私の心はえぐられました。

投げ出したくても投げ出せない『責任』
期待に応えようとする『誠実さ』

それらすべてを「好きでやってるんでしょ」の一言で片付けられてしまう絶望感。

「嫌だと思っている私が、おかしいのかな」
「私がわがままなだけなのかな」

「仕事なのにやりたくないなんて思っちゃダメだ

そうやって、ますます自分を責めるループに陥っていきました。

違和感の正体は?

今なら、あの『違和感』の正体がはっきり分かります。

自分が望んでいない役割の中で、
顔や声が人に見られ続ける立場に長くいて
当時はうまく言葉にできなかったけれど、
それ自体が、私の感覚には合っていなかった
のでしょう。

それが、じわじわと私を削っていったのだと思います。

『見られない自分』に戻りたかっただけ

仕事で見られ続けていると、「もう見られたくない」と感じるようになりました。
それは自意識過剰などではなく、
ただ「誰にも見られない自分」に戻りたかっただけ。

でも当時は、そんな私の切実な思いに対しても
「誰も見てないよ」
「お高くとまってるみたい」
そんなふうに言われることもありました。

自分の『心の聖域』を守ろうとすることさえ、『自意識過剰』や『気取り』だというラベルを貼られてしまう。
今思えば、それもまた、しんどかった理由のひとつです。

目立たなくても『存在感』がある

その後、セミナー講師などの『前に出る役』をやってみたこともあります。
仕事としては、ちゃんとできました。
でも、やっぱり好きじゃなかった。

それは能力不足ではなく
ただ『役割』が合っていなかっただけなのだと、今は分かります。

私は、前に立って注目を集めたいタイプではありません。

その場の空気を感じ取ったり、言葉になる前の『違和感』を拾ったり、『安心』できる温度を整えたりすること。
私には、そういう役割のほうがずっと自然でした。

『目立たない = 影が薄い』ではないんですよね。
目立つことをしていないからこその『存在感』も、確かにあります。

今思っていること

あの12年間は無駄ではなかったと思っています。
『自分に合わない役割を、限界まで引き受けた時間』だっただけ。
そして今は、無理に前に出なくてもいい場所を、自分で選べるようになりました。

背負わなくていい役割を、そっと降りる。
それは、逃げでも負けでもなくて。

自分という『本来の場所』に戻るための、大切な選択だったのだと思います。

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